ユアサナミオ
湯浅浪男
- 日本の映画監督
- 日本の映画の脚本家
- 台湾の映画監督
- 台湾の脚本家
- 日本の映画プロデューサー
- 1927年生
- ハルビン出身の人物
湯浅 浪男(ゆあさ なみお、1927年 - 1991年 )は、日本でのキャリアを経て台湾に帰化した映画監督、脚本家、映画プロデューサー、元映画館経営者であるキネ旬[1976], p.441.田中[1976], p.85-86.便覧[1964], p.66.年鑑[1966], p.325, 386.年鑑[1967], p.332-333, 382.[http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hijiyama-u/file/11687/20140122091416/bunkakenkyu11-10.pdf 映画「神童桃太郎」「桃太郎斬七妖」(1970、台湾)について 戦後台湾における「桃太郎」]、武久康高、比治山大学、2009年12月付、2014年8月29日閲覧。黃[2008], p.238-249.湯浅浪男・岩佐浪男、日本映画情報システム、文化庁、2014年8月29日閲覧。湯浅浪男・岩佐浪男、日本映画製作者連盟、2014年8月29日閲覧。湯浅浪男・岩佐浪男、KINENOTE, 2014年8月29日閲覧。湯浅浪男・岩佐浪男、日本映画データベース、2014年8月29日閲覧。Namio Yuasa・Mu-hua Tang、インターネット・ムービー・データベース 、2014年8月29日閲覧。。20年間におよぶ映画館勤務から小千谷東映支配人を経て、1962年(昭和37年)11月、映画製作会社第7グループ事務所を設立、興行畑から製作畑へ転向する。1964年(昭和39年)6月、岩佐 浪男(いわさ なみお)の名で監督デビュー、翌1965年(昭和40年)からは本名に戻し、黎明期の成人映画を量産、松竹との配給提携も行い、安藤昇の映画初主演作『血と掟』および初期出演作を監督する。1966年(昭和41年)に行った台湾との合作をきっかけに活動拠点を台湾に移し、1971年(昭和46年)6月、正式に帰化する。帰化後の本名は湯 慕華(とう ぼか、タン・ムーファ)。別名湯 淺あるいは湯 濳(とう せん)。
- 出典
- 更新日
2020/5/30 8:53:40(UTC)